マンション低層階を選び、住む人から見たら 高層階好きの「高いところが好きな人」はどう映るのか ― 低層階派の視点から読み解く価値観の違い ―
はじめに:これは優劣の話ではない
マンション選びにおいて「低層階か、高層階か」
という議論は、価格や眺望、資産価値といった
数字の話に集約されがちです。
しかし実際に住んでいる人の感覚を整理すると、
この選択は合理性の比較というよりも、
価値観や生活観の違いとして現れます。
本記事では、あえて「低層階を選び、実際に暮らしている人」の視点から、高層階を好む人がどのように映っているのかを、感情論ではなく、解説者的立場で整理していきます。

低層階派の基本的な思考構造
低層階を選ぶ人の多くは、
次のような判断軸を持っています。
- 毎日の動線を短くしたい
- エレベーター依存を減らしたい
- 災害時の移動負荷を抑えたい
- 外部との距離感を保ちたい
- 生活の再現性を重視したい
ここで重要なのは、低層階派は「非日常」を
否定しているわけではないという点です。
彼らは単に、住宅を「演出された空間」ではなく
生活装置として見ている傾向が強い。
この前提があるため、高層階を積極的に
選ぶ人に対して、まず疑問が生じます。

低層階派から見た最初の疑問
「その不便さを、理解した上で選んでいるのか」
高層階に対する低層階派の第一印象は、
意外にも「羨望」ではありません。
多くの場合、最初に浮かぶのは次のような問いです。
- エレベーター待ちを日常として受け入れているか
- 災害時の階段移動を想定しているか
- 風・揺れ・気圧差などの特性を理解しているか
つまり、不便さを承知の上で選んでいるのか
という確認です。
これは批判ではなく、低層階派が自分自身の選択に
おいて「想定」を重視しているからこそ
生まれる視点です。

高層階好きは「非日常を生活に取り込む人」に映る
低層階派から見た高層階好きな人は、
次のような人物像として捉えられがちです。
- 日常に刺激や変化を求める
- 空間に象徴性を求める
- 気分や感覚を重視する
言い換えれば、生活の中に
非日常を組み込みたい人。
低層階派は
「毎日をいかに安定させるか」を考えますが、
高層階派は「毎日をどう感じたいか」を
重視しているように見えます。
この違いが、両者の距離感を生んでいます。

ステータス志向か、自己満足か
低層階派はここをよく見ている
低層階派が高層階好きに対して
やや距離を取る瞬間があります。
それは、高層階を選んだ理由が
「象徴的価値」に寄って見えるときです。
- タワーマンションという響き
- 高い階に住んでいるという事実
- 他者からの評価
こうした要素が前面に出ると、
低層階派は次のように解釈します。
「その選択は、 住み心地よりも
“住んでいる自分”を重視しているのではないか」
一方で、静けさ・眺望・仕事スタイルなど、
合理的な理由が明確な場合には、低層階派も納得します。
ここに、単なる好みではない
「説明可能性」の差が表れます。

災害という話題が示す、価値観の分岐点
地震や停電、断水といった話題になると、低層階派と
高層階派の価値観の差はより鮮明になります。
低層階派は、この種の話題を
「起こり得る前提」で捉えます。
そのため、高層階を選ぶ人に対しては、
- 想定して選んでいるのか
- 割り切りができているのか
という点に強い関心を持ちます。
ここで重要なのは、恐怖を煽っているのではなく、
判断のプロセスを見ているという点です。

低層階派が評価している高層階派の側面
批判的に見える部分ばかりが語られがちですが、
低層階派が高層階好きに対して肯定的に
捉えている点もあります。
- 自分の価値観を明確に持っている
- 不便を許容できる決断力がある
- 生活に感情的満足を求められる
低層階派自身、「合理性を取りすぎている」
という自覚を持つ人も少なくありません。
そのため、高層階派は自分には
できない選択をした人として映ることもあります。

結論:これは「階数」の話ではなく「生き方」の話
低層階派から見た高層階好きな人は、
特別な存在でも、否定すべき存在でもありません。
それは単に、
- 安定を取るか
- 高揚感を取るか
という、生活観の違いが
表面化しているだけです。
マンションの階数選びは、住宅性能の比較ではなく、
自分がどんな毎日を望んでいるかを
可視化する行為とも言えます。
どちらが正解かではなく、
自分の価値観とズレていないか。
低層階派も高層階派も、後悔が生まれるのは
「イメージで選んだとき」だけです。

