大阪の純子さんの物語 第2話 ~支え続けた甥との絆~

支え続けた甥との絆

 

前回のお話では、幼い頃に両親が離婚し、

お母さんと二人で育った純子さんが、大人になって結婚し、

65歳で最愛のご主人を亡くしたところまでお話ししました。

 

長年連れ添ったご主人との別れは、純子さんにとって

人生で二度目の大きな喪失だったのかもしれません。

 

その頃から、少しずつ物忘れが目立つようになります。

 

最初は些細な変化でした。

同じ話を繰り返したり、約束を忘れてしまったり。

 

「年齢のせいかな。」

そう思われる程度だったのです。

 

しかし、時間の経過とともに、

その変化は少しずつ大きくなっていきました。

 

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ご主人のお兄さんが保佐人に

 

純子さんには子どもがいませんでした。

 

これからの生活を誰が支えていくのか。

親戚で何度も話し合いが重ねられました。

 

その結果、ご主人のお兄さんが保佐人となり、

純子さんを支えることになります。

 

保佐人は、本人の意思を尊重しながら、

財産や大切な契約を支援する役割があります。

 

決して自由を奪う制度ではありません。

 

純子さんが安心して暮らし続けられるよう、

家族が選んだ一つの形でした。

 

ご主人のお兄さんは、純子さんを

「弟の大切な妻」として最後まで守ろうとしていました。

 

その姿を、一番近くで見ていた人がいます。

それが、お兄さんの息子でした。

 

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「純子さん」

 

純子さんは、その甥を

本当の子どものようにかわいがっていました。

 

親戚が集まれば、「元気にしてる?」と声を掛ける。

 

顔を合わせれば自然と会話が始まる。

 

子どもがいなかった純子さんにとって、

甥は特別な存在だったのでしょう。

 

甥もまた、純子さんの優しさを知っていました。

 

小さい頃から変わらない笑顔。

穏やかな話し方。

 

怒っている姿を見た記憶はほとんどありません。

 

困っている人がいれば、自分のことより相手を気遣う。

そんな人でした。

 

年月が流れても、その関係は変わりませんでした。

 

甥が大人になってからも、

純子さんは昔と変わらず接していました。

 

血のつながりだけではない、

温かい家族の関係がそこにはありました。

 

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父と息子で支えた日々

 

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甥は不動産会社で働いていました。

 

保佐人となった父親と相談しながら、

純子さんがこれから安心して

生活できる方法を何度も話し合います。

 

その中で出た結論が、自宅を売却することでした。

 

長年暮らしてきた家。

ご主人との思い出が詰まった家。

 

簡単に決断できることではありません。

 

それでも、これから介護や医療が必要になることを考えると、

住まなくなった家をそのままにしておくより、

生活資金として活用することが純子さんのためになる。

 

そう考えたのです。

 

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思い出の家が、これからの生活を支えた

 

家の売却は無事に終わりました。

 

そのお金は、純子さんが安心して

生活を続けるための大切な財産となります。

 

施設の費用。

医療費。

日々の生活費。

 

純子さんは、お金の心配をすることなく

暮らせるようになりました。

 

家を手放すことは寂しいことです。

 

しかし、その決断が純子さんの穏やかな老後を

支えることになったのです。

 

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父から息子へ

 

時は流れます。

 

純子さんを支え続けてきた保佐人、

ご主人のお兄さんも高齢となり、この世を去りました。

 

純子さんにとって、

大切な家族との別れがまた一つ増えました。

 

その頃には、純子さんの判断能力は

さらに低下していました。

 

保佐では支えきれない状態となり、

成年後見制度を利用することになります。

 

家庭裁判所が成年後見人に選んだのは、

それまで父親と一緒に純子さんを支えてきた甥でした。

 

突然始まった役目ではありません。

父親から受け継いだ、大切な役目です。

 

「これからは私が純子さんを守る。」

 

そんな思いで、成年後見人として

新しい一歩を踏み出しました。

 

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穏やかな施設での暮らし

 

施設での生活が始まっても、

純子さんは変わりませんでした。

 

職員さんに「ありがとう」と笑顔で伝える。

食事のたびに感謝を忘れない。

 

穏やかな人柄は、多くの職員さんに愛されていました。

「あの方は本当に優しいですね。」

 

そんな言葉を掛けられることも少なくなかったそうです。

 

成年後見人となった甥も、

定期的に施設を訪れました。

 

法律上の手続きをするためだけではありません。

 

純子さんの元気な顔を見ることが、

一つの安心でもあったのです。

 

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大好きだった裁縫

 

純子さんには、昔から変わらない趣味がありました。

 

裁縫です。

 

施設でも、体調の良い日は針と糸を手に取り、

小さな布小物を作っていました。

 

一針一針、丁寧に縫い進める姿は、

若い頃と何も変わりません。

 

職員さんから「本当に器用ですね」と

声を掛けられると、少し照れたように笑う。

 

そんな穏やかな時間が流れていました。

 

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大きな試練

 

 

70歳になった頃、純子さんは片足を壊死し、

切断という大きな決断を迫られます。

 

手術を終えた後は、車いすでの生活となりました。

 

普通なら落ち込んでしまうような状況です。

 

それでも純子さんは、

大きく取り乱すことはありませんでした。

 

できることを受け入れ、

その日その日を穏やかに過ごしていました。

 

その姿に、職員さんも成年後見人である甥も、

何度も励まされたといいます。

 

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静かに迎えた最期

 

 

新型コロナウイルスが広がり、

施設でも面会が難しい日々が続きました。

 

その中で、純子さんは肺炎を患います。

 

懸命な治療が行われましたが、

そのまま静かに息を引き取りました。

 

成年後見人として、純子さんを見送りました。

 

幼い頃から知っている「純子さん」。

その人生の最後まで

寄り添えたことに悔いはありませんでした。

 

しかし、この時はまだ知る由もありませんでした。

 

成年後見人として最後の仕事で戸籍を取り寄せたとき、

純子さんの人生に隠されていた、

誰も知らなかった事実を知ることになるとは──。

 

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──第3話へ続く。

筆者松本 親幸
  • 不動産キャリア29年
  • 株式会社フォローウィンドコーポレーション代表取締役
個人的には今までの不動産業経歴において1,500件超のお取引に関わっております。
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若い時にはリフォームの仕事も経験済。
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